バセドウ病闘病記録
5ヶ月で12kg増えた話
ここでは大学院1年生24歳でバセドウ病になった私目線の闘病記を綴っています。
バセドウ病
#とは
甲状腺機能が亢進する病気です。
簡単に言うと代謝がバグります。
男の人がかかると100%痩せるらしいですが、女の人は痩せる人と太る人が半々らしいです。
人によれば目が飛び出たり…
私の場合は、元から目がぎょろっとしてるタイプなので目の変化はそれほどだったのですが、右と左の顔が違うとは感じていました。
それよりも、心臓が脈拍170を突発的に出したりなどおかしくなったのもあって、5ヶ月で12kg増えました。
7割が遺伝による発症、残りがタバコを吸っている人ならタバコ、それ以外の人はないかしらのストレスが原因と言われています。
甲状腺が腫れるので喉仏の下あたりが多少なりとも突き出ます。
治療法の選択
自分の人生プランを真剣に考えた
治療法はだいたい3つ
投薬治療 初めから終わりまでずっと薬で調節していく治療法。
放射線治療 放射線カプセルを飲むだけで甲状腺を機能させなくする治療。その後は投薬治療。簡単ではあるが確実性100%ではない。
甲状腺全摘手術 甲状腺そのものをサヨナラするので確実性100% その後は投薬治療。
大学院生の私は真剣に今後のライフプランを考えました。
働く、寿退社しない、将来の旦那さんの赴任について行きながらもお仕事がしたい。子供は一人は欲しい…
と言うことで私は3. 甲状腺全摘 を選びました。
理由としては、1を選択すると月に1回検査に行かないといけないからです。
3は術後にしばらくお薬の量を調節する過程では通院の頻度は高いですが、安定してくるとそのスパンが長くなります。
就く仕事柄的に月に1回も休むことができないので、もうこれは思い切って3だなと。決断しました。
確定診断から入院まで
3ヶ月の投薬生活
大学院の授業等の兼ね合いで、即座に手術というわけにはいきませんでした。
その間、ヨードを服用していました。
この時だけ海藻類の食べ過ぎ厳禁という食事制限がつきました。
心臓の薬も一緒に服用していました。
これが結構きつくて苦しかったのでなかなかに大変でした。
バセドウに気づかなかったら急性心不全で死んでたかもしれないということで、人ってこんな風に突然死に向かうのかと思いました。
この3ヶ月が一番情緒不安定で、見えない未来が怖くて毎晩泣いていましたね。
入院と手術
自宅療養も合わせて11日間
入院の予定は5日でしたが、回復が遅れ1日伸びました。
溶ける糸で縫ってもらい、医療用ボンドでコーティングしてもらったので抜歯はなしでした。
ただしばらくは血液を抜くドレーンが付いていました。
手術後は集中治療室で1泊でした。
首を切っているので右にも左にも剥くことができず、しばらくはリクライニング機能で生活していました。
寝返りを打てるようになったのは術後3日目だったと記憶しています。
身体を起こすこともできず、ご飯も少ししか食べることができず、病室で一番若くて元気そうだったのに一番弱って、他の方々にとても心配されました。
ご飯をスキップしすぎて看護婦さんに怒られました。
ドレーンを抜いた際に迷走神経反射を起こして超高速車椅子で運ばれたり、踏んだり蹴ったりな入院でしたね。
最後の二日間で無事に一人で歩けるようにまで回復して退院しました。
ただ、自転車で入院しに来ていたのですが、帰宅する際またがってもこぐことができず、キックボード式に帰るしかなかったです。
その後数日の自宅療養も「生きること=リハビリ」状態だったため、ほとんど寝て過ごしました。
術後
(経過半年まで)
チラージン処方が200μgまで上がったり(理論値の最大)調節が大変ですが、現在は150μgで2ヶ月毎に検査です。
ずっと脚のむくみがひどくて、調子が悪い時には脚の痛さでねれない日々も繰り返しましたが最近は安定しています。
着圧スパッツ履いて寝たりなど工夫を凝らしています。
術後から今までで12kg減りました。
チラージンの量が多かったことによって一気に減ったようで、最近は体重減少が止まっています。あと3kgは減らしたい…!!
もうちょっとお年を召した方の療養記録だと何年もかけて5kg減ったとかよく見るので、今後に期待ですね。
手首と指、お腹周り、そして特に顔が劇的に痩せました。
有難や。
ただ脚は浮腫んでいるのもあってか、他が段違いに痩せたせいで相対的にそう見えているのか、すごいペースで痩せたとは言えずやきもきしています。
一気に痩せたせいでちょくちょく調子悪いですし、ここにきて胆石の疑いが出ているので、元気になったと言えど、術後1年経ってないからかなぁと感じることは多々あります。
骨髄バンクや献血も一切できなくなりましたので、該当の献血車を見てちょっぴり申し訳なくなる最近です。